谷間世代への救済策について
本日は日弁連の臨時総会に行ってまいりました。
やはり、一番の話題は、第1号議案、谷間世代への日弁連からの給付金(一律20万円)の支給是非でした。
日弁連がやっていることって普段は正直あんまり興味がなかったんですが、
かくいう私も谷間世代の当事者でして、やっぱり気になったので、会社にお願いして行ってきたのです。
※ 谷間世代とは、司法修習生(司法試験に合格した人のうち最高裁により任用される法律家の卵のこと)の65期から70期の裁判官、検察官、弁護士のことをいいます。この世代は、1年間の司法修習期間の生活費を、国からの貸与(=借金)で賄わざるを得なかった人たち。64期までの修習生は、国からのお給料(ボーナス付き)という形で、修習期間を過ごすことができました。2011年の震災後、司法試験に合格した人のうち、ある特定の世代は修習期間中の生活費を強制的に借金という形で負わざるを得ませんでした。それまでの世代は何ら経済的な負担なく安心して修習に取り組むことができました(給費制を完全に排斥したのは民主党政権のときです。64期までは延長されていたんですよね、、)。このギャップを捉えて、「谷間」が生じているという問題意識から「谷間世代」というワードは出てきています。大体1ヶ月23万円の生活費×12ヶ月=300万円弱の借金を谷間世代は背負うことになっています。
議決がどういう結果になったとしても、受け入れようと思っていました。だって、その分自分が頑張ってそれに見合うキャッシュを獲得するしかないし、そもそもこの1回の給付だけで全部で300万円弱の借金を返済することはできないので。
私が興味を持ったのは、谷間世代ではない弁護士の先生方って、一体どのような考えを持っているのかな、この点について、どういう議論がなされるのかなという点でした。
総会自体は、12時半から始まったのですが、正味、質疑と意見交換の時間が長すぎて、議決権を行使する前に退場せざるを得ませんでした(15時に退出)笑
総会の内容としては1号議案から7号議案まであったのですが、結局1号議案の採決が行われたのは16時過ぎだったとか(その後7号議案までどうやって議事を進行したんだろう笑)。
私が会場にいた間ですが、特に66期(今年から返済が始まる人たち)の先生方を中心に、皆さん意見をされていましたね。
云く、
・日弁連会長の谷間世代救済への意欲の低さ(会合に全然出席してくれないじゃん!!)を問題提起する人、今の谷間世代への対応は、国や日弁連から見捨てられたとして泣きながら話す人。
・お父さんの収入が不安定で、高校からロースクールまでの奨学金総額が1,000万円を超え、かつ、就職難だったために即独を余儀なくされ、即独費用にさらに400万円を借り入れざるを得なかった人。
・早口すぎて、議長から3回くらい質問を聞き返されていた人(こういう弁護士さんまだいるんだなぁぁ、てか何が聞きたかったんだろうww)。
・司法修習は阿片だ!直ちに廃止すべし!と叫んでいたおじいちゃん先生(すいません。何が阿片かよく分からないし、そもそもあなたも修習受けてますよね?ww)
などなど、色んなバラエティに富んだ先生方がいました(最後までいたかったな)。スピーカーに与えられる持ち時間って、一応、最初に2分から3分と明示されるんですが、基本皆さん5分以上は話してましたね笑。
そんなカオスな状況の中、理路整然と答えようとする執行部の先生方。
全部の質問に対して、非常に丁寧に返しておられた印象です。だって、質問1と質問2の切れ目がよく分からない質問もあるんです。それが5、6個あったりもする。それをよく分解して丁寧に答えたなという印象です。そもそもこの事態って、彼ら彼女らのせいで起こった訳ではないですよね。にも関わらず、できる限りの対応をされていたように思います。
なんか、このやり取りを通じてですが、本当に弁護士ってめんどくさい奴らだなと(もうちょい空気読めよと)。
しかし、ちゃんと皆さんご自分の意見を持って議論しているんですよね。良くも悪くも空気を読まないというか。忖度、忖度って言われているこのご時世で、まだまだこういう人らがいるんだな!というのが再確認できてちょっとほっとしてしまったというか。
そんなに長くいれないんだから、早く議決権行使させてよ!という感情もありつつ、もっと荒れろ!!という感情が両立するという、不思議な感覚。
結論として、第1号議案、すなわち、谷間世代に対して日弁連から20万円の給付が降りるという結論となりました。そのこと自体は、谷間世代の当事者として助かるなというのが正直なところです。
ただ、この問題、本源的な部分に立ち返ってみると、弁護士全体にとどまらず、法律家全体に共通する話なのではないかと思います。日弁連だけの責任ではなくて、裁判所、検察庁=司法のパワーや重要性が今の日本社会においてどの程度認められているのか?という話だと思います。
なんでこんな議論をしないといけないほどに法律家が追い込まれているんだっていう話です。給付の是非に関していえば、たかだか20万円の話じゃないですか。
そして、司法修習制度の話でいえば、たかだか年間1500人(最近の司法試験平均合格者数)の若手を公費で支えることの是非じゃないですか。このコストを単純に積み上げれば年間45億円のコストです。未来ある若手に45億円を振り向けるのって無駄なコストですか?もっと無駄な事業あるでしょう(きな臭い事業)。そんなのがある中で、未来の法律家にそれだけのコストを振り向けることってそんなにダメなことなんですか??ということです。
結局、日本という国は司法が弱いんです。政治力がないんですよね。
だから、リーガルの価値を皆理解できない。アメリカの弁護士のタイムチャージってどれくらいか知っていますか?
若手のペーペーでさえ、日本のパートナー以上に取っているということはざらです。
司法の政治的な力(パワー)がない→予算が取れない→若手が苦しむ→以下ループ。
これを解決するには、司法≒法治の価値を一般の方に小さい頃から理解してもらう必要があると思います。また、実際の社会においてやっぱり法律家って役に立つよなということを理解してもらう必要があると思うんですね。
まずは、「法教育」です。個々の法律の知識を知る必要はなくて、法律全体に現れてくる考え方のフレームを知ることってけっこう大事だと思うんです。例えば、三段論法、比例原則(目的手段審査)、原則と例外、事実と評価の峻別、手続保障、事実認定etc。これは、ビジネスをやる上でも必ず通過するフレームワークなんですよね(インハウスをやっていると非常に多くの実例に遭遇します)。この考え方のフレームに若い頃から体系的に慣れていると、法律家に限らず、面白い若者がたくさん出てくるんじゃないかなと。そして、この法教育を地方の若手の弁護士が主導して行う。そこに雇用が生まれるし、色んなケミストリーが生まれそうな気がします。つまり、司法の価値を分かりやすい形で社会生活に還元する活動です。
次に、法律家の職域拡大です。これは、法律家としての新しいサービスの提供も含むし、また、法律家が法律とは全く関係のない分野で活躍することで、逆に法律家の価値が上がるという方向性です。今までの先生方(むしろ司法修習制度自体そのものなのかもしれません)には悪いですが、過度に裁判実務にこだわりすぎていた嫌いがあります。裁判実務そのものは、大事なものです。そして、その価値はこれまで通りに維持されるべきものだと思いますが、それだけだと若手は食えなくなってきているんです。
例えば、いたるところに、隣接士業がいます。そして、資格すらない人は、手を替え品を替え「経営コンサル」という形で企業経営に入り込んでいるんです(結構なお金が出ていっているんですよ)。そこに対して、今までの先生方がどれだけ意識的にリーチする努力をしてきたかといえば不十分だったなと。裁判で食っていけないのであれば、ここに接近していくべきなのではないかと思います。弁護士はcounselといいますよね。要は相談役なんです。個別の法律を知っていることも大事ですが、法律の価値を理解した上で、あるべき/取りうる方向性へのアドバイスができる弁護士像、これが求められているような気がします。その意味でいえば、今までの先生方の業務への取組み、競合サービスへの認識が甚だ甘かったというようにも思われます。今後、人口減の社会に向かう中で、どういう価値を社会に還元するのかという話にも通じることではないかと。
法教育と、裁判以外の分野でのアドバイス業、これを軸に戦略を立てることが大事なのではないかなと思います。