若手インハウスのひとりごと

若手企業内弁護士の日々の仕事、勉強、法律のこと、今後のキャリアや業界のことを思うままに記すブログです。

日経記事:「個人データ乱用、独禁法で改善命令 公取委が指針案」について

さて、本日夕刻、日経から以下の報道がありました。

www.nikkei.com

 

なんでも、公取が、個人データの乱用について「優越的地位の濫用」(独禁法19条)を適用する際の指針(ガイドライン)なるものを検討していることが判明したとのこと。

個人的にはかなり衝撃です(大丈夫かなこれは、、)。

来年の個人情報保護法の改正では、Cookieや位置情報などのパーソナルデータについては、「個人情報」として規定することは見送り、かつ、これらのデータをターゲティング広告へ活用することについても事前同意を取ることまでは求められない、つまり、個人情報保護委員会は、これらのアドテクのエコシステムを支える技術について、メスを入れないと考えていたのですが、まさかの独禁法、しかも公取からのアプローチ。

公取のこの方向性について、個人情報保護委員会は了解していたのですかね、、

見方によっては、完全に面子をつぶされたように見受けられます。

縦割りで、省庁間のパワーゲームの中では、新参者の個人情報保護委員会の力は大したことない。天下の公取からしたら、こら個情委!何をもたもたしているんだ!!俺らは先にやるからな!!というメッセージとも受け止められかねないアプローチです。

 

気になるのは、そもそも「プラットフォーマー対一般消費者」の関係に「優越的地位」を読み込む事ができるのかという点も然りですが、何よりも、以下の報道にあるように、

サイトでの購買履歴や位置情報を含め、個人データを同意なく利用すると独占禁止法の「優越的地位の乱用」にあたると示す。不適切な場合は改善命令を出し、支配力を高めるIT大手から個人を守る仕組みをめざす。 

ここで求められる「同意」のレベルです。

つまり、GDPRで求められるように、明示的な同意を記録しなければアウト!!という温度感なのか、あるいは、いわゆるオプトアウトの機会を与えていれば足りるのかという点です。

グローバルな拠点を持つ会社を除けば、「GDPR対応ね、、いつかやんないとねーわかってるんだけどねー」とノンビリしていたというのが多くの日本企業の実情だと思います。しかし、一気に海外の法律の話から、日本法の話になってしまったというか。しかも、相手は弱腰の個情委ではなく、あの天下の公取です。

まだ、公取からオフィシャルなリリースはありませんが、今後、この方向性が進めば、個人情報保護委員会の存在感ってますます薄くなるように思います。

どのようにして彼ら彼女らが、この議論を巻き返すのかは見所ですし、パーソナルデータを含む個人情報を規律する法律を所管・執行する省庁としては、まともな意見を提示してもらいたいものです。所詮、個人情報保護法独禁法に溶けて包摂されるものに過ぎないのか、いやそうではないのか?

今後の議論の進展に注目したいと思います。

CCCの炎上事件とプライバシー・個人情報について考える:その2

さて、CCCの炎上事件とプライバシー・個人情報について考える:その2です。

前回までは、CCCが、令状なくユーザーの個人情報を開示していた点、そのことを利用規約に明示していなかった点について考えました。

今回は、全件に裁判官発付の「令状」を求めることが妥当なのか?ということについて考えていきたいと思います。

一連の報道を見て、最初に感じた違和感は、民間企業に来る全ての捜査関係事項照会に裁判官の令状を求めることって本当に可能なのか?そして、それは妥当なことなのか?ということでした。

これは、令状主義の精神から離れる部分かと思いますし、被疑者、被告人の人権を守るべき「弁護人」の立場からすると、違和感のあることなのかもしれません。

しかし、刑罰法規に該当しうる案件って、それこそ、ご近所トラブルから殺人事件までピンキリなわけです。その全てに令状を求めるというのは、なかなか難しいことなのではないかと思います。なかんずく、令状の適法性を判断するための司法人材、特に裁判官のリソースが全件令状対応できる程度に充実しているかというと、はなはだ疑問と言わざるをえません。やはりある程度絞らざるを得ないし、そのことを、警察も検察も分かっている。

2,000年代の司法制度改革で、法曹三者が増えたとはいっても、増えたのは所詮弁護士だけです。裁判官や検察官は大して増えていないわけで、国が「司法」というインフラにかけるリソースってやっぱり薄いんですよ。

むしろ、司法修習生の給費制廃止や国選弁護報酬が未だ低い水準に留まっていることからすると、全体として、削る方向に動いていっていると評価しても過言ではないかと。

そんなリソースが限られた中で、全件に令状がなければ、捜査の取っかかりもつかめないというのはそれはそれで酷なことではないでしょうか。

当然、今までの、裁判所や検察庁組織に沈殿する不純物の問題、警察機関の透明性や捜査官の法的なリテラシーにも責められるべき一端はあるかと思います。加えて、刑事司法という作用そのものには、国民を豊かにする経済的なメリットは一切ないわけです(生起したマイナスの事象に対して更にコストを投じるわけですから)。

 しかし、限られたリソースの中で、やむなく任意照会したかもしれない個々の事件もたくさんあるわけです。そして、それに対応せざるを得ないと判断してしまった一民間企業が叩かれなければならなかったのか?というのはやはり非常な違和感を感じるわけですね。

本来、叩くべきは、そのような任意の照会を行なっていた警察機関そのものですし、仮にやむなく行なっていたとしても、そのような慣行を許してしまった司法リソースの薄さ、ひいては国の関心の低さそのものが問題提起されるべきだったのではないかと思います。その意味ではCCCは完全なスケープゴートになってしまった。

そして、本来的に叩くべき対象を誤認してしまったマスコミ各社の責任って正直かなり大きいのではないかと(そのことを彼らがどれだけ自覚しているかはよくわかりませんが)。

 この一連の報道を受けて、民間企業は、捜査関係事項照会への対応を必ずきつくするはずです(実際そのような声は見聞きします)。今までは、正直緩めに対応していた部分も、もしかしたらあるのかもしれません。しかし、今後は、本来は開示されても問題なかった情報でさえ、令状がなければ開示できませんという運用が定着するのではないかなと思います。

これって、本来、裁判所が厳格に審査すべき判断が、国のコスト負担なく、民間企業に転嫁されてしまっている問題ともいえるのではないかと。

次回は、

とはいえ、捜査関係事項照会は来るわけだし、民間企業として、どのようなプロセスの下に対応すればいいんだ?という点について考えていきたいと思います。

 

 

CCCの炎上事件とプライバシー・個人情報について考える:その1

今年の初め、以下のような報道があり、炎上した件がありました。

蔦屋、Tポイントを運営するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)が、

Tカード会員の個人情報を、令状がないまま捜査機関に提供していた件を受けて、

マスコミが一斉にCCCを叩いた一件です。

www.nikkei.com

mainichi.jp

 

www.asahi.com

 

さて、この問題、必要な手続きを踏むことなく、プライバシーに関わる個人情報を開示するなどCCCけしからん!!という単純な図式ではありません。

なぜかというと、CCCは個人情報保護法上は何も間違ったことはやっていなかったからです(この点については、後ほど詳述します)。

いわゆる「捜査」の必要性と、「個人情報/プライバシー」の要保護性の問題、換言すれば、任意捜査の限界の問題ともいえますが、より突っ込むと、「捜査機関の透明性」と「司法のリソース確保」という論点についても考えなければならない政策的な課題と考えます。

1 本件で一体何が問題視されたのか?

まず、日経新聞の報道によれば、一番に問題視されていたのは、

① 令状なく、会員の個人情報を捜査機関に開示していたこと」です。

加えて、

② 「捜査機関に会員の個人情報を提供することがある点を規約に明記していなかったこと」です。

このブログでは、上記の観点をもって、CCCを批判することが、果たして適切だったのかということを考えたいと思います。

 

2  令状なく個人情報を開示することの是非

(1)令状主義

日本国憲法上、「権限を有する司法官憲」が発付する令状なくして、強制的な捜索、差押えを行うことはできません(憲法35条)。

たとえば、「警察24時」とかのテレビ特番でよく見る光景があります。違法風俗店の営業や覚せい剤の違法所持などで、刑事が「ガサ入れだー!!」といって、店舗や家にドカドカ突入していくシーン。そして、予期せぬ来客に固まる容疑者一同。あれがまさに「捜索、差押え」です。そしてそのときに彼らが携えているのが「令状」、すなわち、「捜索差押許可状」になります。

この「捜索差押許可状」を発付することができるのは誰か?「権限を有する司法官憲」って何者か?警察署長でも、検察官でも、市長でも、知事でもありません。

「裁判官」しか、この令状を発付することができません。裁判官が、強制的な捜査をしてもよろしい!と認めた場合にしか、「ガサ入れ」はできないんです。その要件はそれなりに厳格です。だからこそ、朝っぱらから寝ている人の家に土足で上がり込んで、そこの住人を逮捕することができるんですね。市民の人権を大きく制限する、強度の高い捜査については、「司法」の適切なチェックを及ぼす必要があります。これを「令状主義」といいます。

 こう見てくると、「令状」って取るのがそれなりに大変なんです。嫌疑のかかった容疑者本人の自宅を調べるのであればいざ知らず、その事件とは全く関係のない民間企業に、単に情報があるかもしれないってことだけで、ドカドカ警察官が突入することができたら大問題ですよね。だからこそ、要件はそれなりに厳格です。

また、令状を使えば、日々業務に忙殺されている社員さんのパソコンを丸ごと取り上げることもできちゃいます。これじゃあ仕事になりません。だからこそ、お互いにとって弾力的な対応が期待できる「捜査関係事項照会」というものがよく用いられるようになりました。

(2)捜査関係事項照会と個人情報保護法

この「捜査関係事項照会」ですが、刑事訴訟法197条2項に以下のような規定があります。

 捜査については、公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる。

つまり、「捜査関係事項照会」は、れっきとした法定の手続きなんですね。

もちろん、これは任意の手続きであるため、照会をかけられた企業は、警察に対して答えないということもできますし、答えることもできるわけです。

では、個人情報保護法上、捜査関係事項照会はどのように扱われているか?

個人情報をTカード会員から取得したCCCは、Tカード会員の同意がない限りは、会員の個人情報を第三者に提供することはできません。しかし、その例外として、保護法は以下のような規定を置いています。

一 法令に基づく場合
二 人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
三 公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。
四 国の機関若しくは地方公共団体又はその委託を受けた者が法令の定める事務を遂行することに対して協力する必要がある場合であって、本人の同意を得ることにより当該事務の遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。

そして、刑事訴訟法は、れっきとした「法令」なので、捜査関係事項照会に対して、CCCがTカード会員の個人情報を提供しても、これは保護法上はセーフ、つまり会員の個別の同意がなくても認められる第三者提供だったわけです。

こう見てくると、個人情報保護法は守っていたのに、なぜCCCが叩かれなければならなかったのか?という疑問が生じます。マスコミは、「規約にそのことの明記がなかった」点を問題視しますが、果たしてその是非やいかんということを見ていきましょう。

3 規約への明記がなかったことの是非

 本年1月時点のCCCの会員規約は、Tカード会員の個人情報の第三者提供について、以下のような規定を置いています。※ 下線は筆者

5. 当社から第三者に対して提供される個人情報について
当社が、当社の連結対象会社もしくは持分法適用会社または提携先に対して提供する本条第2項に定める会員の個人情報の取り扱いは、以下の通りとします。会員は、当社が、以下に記載する条件に従って、本条第2項に定める個人情報を、下記(1)に定める提供先に対して提供することにつき、同意します。
(1) 提供先について
個人情報の提供先は、次の1)および2)に記載する企業に限ります。
1)当社の連結対象会社または持分法適用会社
2)第1条に記載する提携先
なお、当社または当社の連結対象会社もしくは持分法適用会社から個人情報の提供を受けた提携先が、更に第三者に対して当該個人情報を提供することはありません。

 

tsite.jp

つまり、個人情報の提供先について、連結対象会社、持分法適用会社などのグループ会社や、TSUTAYA店舗、ポイントプログラム参加企業などT会員向けサービスを提供する企業にしか提供しないと明言しているんですね。したがって、警察などの捜査機関に提供するとは明言していなかった点が問題なようにも思えます。

しかし、当然、CCCの規約を担当する部門でもこの点を明記するかどうかは議論になったはずです。法令に書いている例外要件をわざわざ規約に明記する必要があるのか?という点ですね。仕事柄、契約書や規約を書くこともままありますが、この点は結構担当者にとっては、省略するという判断もありうる部分です。

すなわち、ただでさえ長ったらしい規約や契約を書くわけなので、

法律とは異なる例外的な処理をする部分については、書いておく必要がありますが、法律通りの運用をすることを期待している場合、あえて書かないということもあります。なぜなら、契約に書かないということは法律通りにルールが適用されるということですし、そのことは法律を見れば分かるからです。つまり、当たり前のことを二重に書くのって仕事のやり方としてナンセンスじゃないか?ただでさえ長い規約のボリュームを増やすのってユーザーにも迷惑なんじゃないか?という感覚です。

例えば、レストランに行ったときに、「大声で騒がないでください。食事の際は、口を開けて食べないでください。麺はすすらないでください。」なんて注意書きがあったら、ちょっと引きますよね。そんなの当たり前でしょ。わざわざ書くことかよとお客さんは思います。お店もそのことを分かっているので、いちいちそんなことは書きません。それと似た感覚で、法律を見れば分かることをわざわざ書く必要はないのではないかということで、記載を省略するということは契約実務的にはありうる対応です。

したがって、おそらくですが、CCCの担当者も、捜査機関に提供することがありうるということをわざと隠そうとしたわけではなく、法律に書いているし、見れば分かることだから(少なくとも担当者にとっては自明のことであるから)わざわざ書く必要はないということで、明記を省略したのではないかと想像します。

当然、ユーザーの中には個人情報保護法を知らない、見たこともない人もいるわけです。むしろ、一般の方はそのような法律なんて見たことがない人がほとんどでしょうから、法令にしたがって捜査機関に提供することがありうるということを明記するということも必要だったのかもしれません。その意味では、CCCの規約は、親ユーザー的な対応ではなかったとも思います。

しかし、ユーザー自身、規約を見た上で、サービスを利用しているかというと、全くそんなことはありませんよね。逆にいうと、書いていれば何も問題はなかったのか?ということでもないですよね。

重要なのは、CCC内部で、どのような情報について、どのような手続きを踏んで、どのようなことに留意して、個人情報が提供されていたのかという点です。

非常にずさんなプロセスで開示していたのか、相応のプロセスを経た上で、開示していたのか?これが議論の焦点とされるべきでしたが、マスコミは単に令状がなかった点や、 規約への明記がなかったという形式的な点を捉えて騒ぎ立てただけで、報道を見る限り、本件の問題の本質には至れていなかったように思います

仮に、報道するのであれば、CCCがどのような対応をしていたのかを確認した上で、その対応の是非を報ずるべきだったのではないか?また、この問題について、独りCCCだけが槍玉に上げられるべきだったのか?捜査関係事項照会に頼ってきた捜査機関のあり方自体にも問題があったのではないか?という点についても報道して欲しかったところで、この点は残念でした。

 

次回、①全件に裁判官発付の令状を求めることが妥当なのか?という点、②捜査関係事項照会への対応として民間企業としてどのようなプロセスを踏むべきか?という点について考えていきたいと思います。

東京医科大入試不正問題の調査報告書に観る「他山の石」

さて、だいぶブログをサボってしまいましたが、また始めたいと思います。

三者委員会調査報告書に観る「他山の石」第2回目です。

 

0 東京医科大学入試不正問題について

今回は、先日、集団訴訟が提起された東京医科大の入試不正問題の調査報告書から「他山の石」を読み取ってみたいと思います。

訴訟の詳細は不明ですが、女性の元受験生が原告となり、「性別という本人ではコントロールができない属性を理由に不利に扱われた」点 を裁判で争うということが報道されています。

https://www.asahi.com/articles/ASM673WLXM67UTIL00M.html

実は、この問題、報告書を読み進めると、単なる性差別だけではないのです(もちろん性差別が大きな論点であることに変わりはないと思いますが)。報告書には男女差別以外の差別についても調査、記録がされており、なかなかに根の深い問題なのではないかということが伺えます。

 

1 一体何が問題だったのか?

性差別自体、甚だ不合理なものであり、そこに弁明の余地はないわけですが(本件における最大の問題点であることに疑いはないでしょう)、問題行為として報告書に記載されていたのはそれだけではありません。読み進めるうちに、本件の問題は、果たして、性差別をしたこと、それ自体に尽きるのか?と考えるようになりました。

報告書は、問題行為について、以下のように指摘しています。

① 属性調整=受験生がもつ「属性」によって、答案の点数を調整すること

具体的には、ア 女性を不利益に扱う点数調整と、イ 受験生の現浪の別または出身校により、浪人生または特定の出身校の受験生を不利益に扱う点数調整を問題視しています。

 ア 女性であることを理由とした点数調整

 一般入試・センター利用入試の「小論文試験」の点数について、男性に対しては加算点を3から5点プラスし、女性には加算点を一切与えないことで、女性の受験生に不利益な点数調整が行われていました。  

イ 受験生の現浪の別または出身校による点数調整

 一般入試・センター利用入試の「小論文試験」の点数について、男性の受験生のうち、現役生には高い加算点をプラスし、多浪の受験生には少ない加算点を付与することで、浪人生に不利益な点数調整が行われていました(現役には5点、一浪は4点、二浪は3点、三浪以上は0点)。

 また、男性の受験生であっても、大検出身者や外国学校出身者などのいわゆる普通の高校を出ていない受験生には加算点が付与されていませんでした。これもけっこうな話ですよね。色々な事情から普通の高校に行けなかった受験生もいるとは思うのですが、この属性の人たちも女性の受験生と同様に加点の対象とされませんでした。

 今後の裁判において、上記差別の合理性が争われることになるとは思いますが、こう見てくると、必ずしも女性だけが不利益に扱われていたわけではないことが分かります。男性の中でも、多浪の受験生、普通の高校を出ていない受験生は、加算点が少なく、あるいは、一切付与されないという形で、不利益な扱いをされていたことになります。

② 個別調整=トップからの指示によって、特定の受験生の答案の点数を調整すること

男女の別、現浪の別、出身校の別とは異なる何がしかの「属性」に基づいて、特定の受験生に対して大学トップ(報告書では理事長や学長とされています)から指示が下り、当該受験生の点数をプラス方向に調整していたことが報告書に触れられています。個々の受験生が持つ「属性」について、明確な事実認定はなされていませんでしたが、受験生の保護者が大学関係者であった、寄付をたくさんしてくれる人であった、というような「属性」が個別調整の動機となっていたことを報告書は匂わせています。

 報告書によると、平成25年から平成30年の試験において、少なくとも、51名の受験生に対して個別調整がなされたであろうことが認定されています(H25は12名、H26は2名、H27は13名、H28は7名、H29は11名、H30は6名)。もちろん、個別調整がされてもなお合格水準に満たなかった受験生はいるのでこの51名全員が合格点に達したというわけではなさそうです。

報道では、男女差別が騒がれていましたが、この調整も大きな問題ですよね。報告書は「個別調整」という言葉でお茶を濁していましたが、いわゆる「裏口入学」という言葉を使っても何ら不思議ではありません。この問題については、もっと追求されて然るべきだったと思うのですが、なぜか、そこまで喰いついていません。

 

③ 入試不正の背景と原因

さて、ここまで来ると、なぜ、本件のような点数調整がされてしまったのか?

大学はなぜそのような誤った判断をしてしまったのか?という点について知りたくなります。

この点について、報告書は以下のように記します。

今回の不正の背景には、東京医大の内部に、個別調整(繰上合格における問題行動等を含む)についていえば同窓生を含む特定の大学関係者の子息等を優遇することを許す土壌が、属性調整(合否判定会議における問題行為を含む) についていえば女性や浪人生に比べて男性や現役生を優遇することを正当化する思想が、それぞれ存在していたという事情があることが明らかになっている。

加えて、

当委員会がヒアリングを実施した多くの者は、大学病院を適正に運営するためには、医師国家試験を合格する能力を持ち、かつ、研修医として大学病院で継続的に勤務が可能な学生を東京医大から多く輩出することが必要との考えを前提に、経験的にみて、進級や医師国家試験の通過率が低い(と考えられていた)多浪生や医局に勤務した後に結婚や出産による離職率が男性に比べて高い女性の入学者を、できる限り少なく抑える必要があるとの認識を有していた。当委員会が理事、監事、主任教授を対象 に行ったアンケート調査でも、「女性が途中で出産などでいなくなると仕事がまわらなくなる」「現在の労働環境から考えれば女性医師が継続して働くことは難しい」「男性医師の数がある程度保持されることが望ましい」(いずれも原文のまま)というように属性調整に一定の理解を示す回答が複数の者からされた

 さらに、

このような思想が醸成されてきた背景の一つには、法人としての東京医大の 附属病院を含む経営上の都合が関係していることが疑われる。

すなわち、当委員会が直近の財務資料を確認したところ、東京医大の法人としての収益の大部分は、新宿[10東京医科大学病院]、八王子 [11東京医科大学八王子医療センター ]茨城県[12東京医科大学茨城医療センター]に所在する3つの大 学病院における収益で賄われていることが窺えた(なお、このような経営・財政状況は、大学病院を有する他の単科医科大学も同様と思われる。)。これらの 大学病院を運営する医局には、東京医大を卒業し、医師国家試験を通過した者 が研修医として多く勤務している[13例えば、平成18年度から平成29年度に新宿の大学病院に採用された臨床研修医 に占める東京医大出身者の比率は、前期研修で約8割、後期研修で約7割に上る]

として、入試段階から学生を間引いてきた主たる要因として、学校法人としての収益が大学病院の経営に依存していたことを述べます。

つまり、これは以下のような思想であるということです。

→ 学校法人としての収益の大半が病院経営に依存している。

→ 病院の職員の大半は東京医科大の出身者である。

→ 労務管理上、支障となりうる可能性のある受験生は事前に間引いておこう。

これは、もっともらしい論理に一見見えるのですが、以下に述べるように、組織に期待される様々な「顔」や「役割」を混同した結果、また、そのような役割や顔を適切に分散しなかったがために非常におかしなことになっているように思えます。

2 本件から学び取れる「他山の石」

(1)事業の多面性に応じた組織を構築しなかったこと

組織には様々な「顔」があり、それに応じた様々な「役割」があります。

東京医科大学も然りで、教育機関としての「顔」、地域に根ざす医療機関としての「顔」、それらを総合する学校法人としての「顔」を持っています。

教育機関としての「顔」は、可能な限り、優秀な学生を集め、レベルの高い教育を施し、次代の医療を担うお医者さん看護師さんを社会に輩出することです。

地域に根ざす医療機関としての「顔」は、患者さんに、できる限り質の高い医療サービスを提供し、そのために、病院で働くお医者さんや看護師さんが働きやすい環境を整えることです。

学校法人としての「顔」は、教育機関としての役割と医療機関としての役割がシナジーを発揮するよう両者をうまく調整しつつ、監督官庁などの外部との関係を適切に構築していくことです。

しかし、本件では、東京医科大が教育機関として果たすべき「顔」が軽視され、医療機関としての「顔」が前面に出すぎてしまい、今の時代、絶対にやってはいけない「男女差別」という明らかに誤った判断をしてしまいました。これはすなわち、教育機関としての機能と医療機関としての機能を、うまく統合するファンクションが東京医科大にはなかったということでもあると思います。

教育機関としては、とにかく優秀な学生を出来る限り採用すればよいわけです。そこに本来男女の差はないし点数を調整する必要はない。

また、医療機関としても、女性特有のライフイベントがあることは仕方がないわけですから、その場合に備えた組織を構築しなければならないわけです(簡単な問題ではないと思いますが)。そして、その相反しがちな両者のニーズを踏まえた上で、然るべきリソースを確保すべく、経営トップが奔走しなければならなかったのではないでしょうか。つまり、教育機関には教育機関のプロを置き、医療機関には医療機関のプロを据え、両者を統合する経営のプロが本来当たるべきだったのではないかということです。それら別々の機能がないまぜになった結果、男女差別という不合理な判断がなされてしまった可能性があります。特に、医局人事という慣行がある大学病院などでは、その傾向は顕著なのかもしれません。

しかし、このようなことは、会社組織でも起こりえますよね。

各事業が果たすべき役割と、その事業におけるステークホルダーは全く違うにも関わらず、その違いを違いとして意識することなく、ごちゃ混ぜにしてしまった結果、不合理な判断をしてしまうということが。

したがって、本件から学べることは、別々に分けるべきものはしっかりと分けて考える。そして、分けられた事業については、餅は餅屋で、専任の人に当たってもらう必要があるのではないかということではないかと思います。

(2)特定の人物への権限の集中があったこと

これは、上記(1)の裏返しの問題にはなりますが、入試と労務管理の問題をごちゃ混ぜにしてしまった原因は、両者を分けて考えなかったこと、つまり、本来別々の人が当たるべき両者の問題を同一人物が考えてしまったことなのではないかと思います。

本件で、個別調整をやった理事長や学長と言われる人たちがこの両者の問題を捌いていたようですが、本来はこの権限と機能を下の人間に分散させるべきだったはずです。にもかかわらず、そうしなかったというのが本件から学べることなのではないかと思います。

 (3)単なる内部事情や偏見を医療現場全体の問題に抽象化してしまったこと

 (1)と(2)と根は同じ話ですが、結局本件では、病院経営優先の施策が用いられてしまいました。報告書からは、経営の効率のためには、女子学生は少ない方がいい、浪人生は出来るだけ避けた方がいい、普通の高校を出ていない学生は避けた方がいいという思想が大学にあったことが伺えます。そのような差別をしなければ、適切なレベルの医療現場が維持できないという使命感のようなものがあったのかもしれませんね。

しかし、抽象的にはそのようなことが言えたとしても、実際にはどうだったのでしょうか。そんなに大事な医療現場を守るためなら、医療現場に不適格な人物を送り込んでしまいかねない「個別調整」を行う必要はなかったのではないかと思います。また、厳密な統計をとったわけでもないのに、女医はすぐに医療現場を去るからとか、浪人生や普通の高校を出ていない学生は、レベルが低いからという理由で、これらの受験生を不利益に扱っていたわけです。一方で、この受験生の親御さんは偉い人だからとか、寄付をたくさんくれるから、という理由で、優遇していたわけですね。よくよく考えると、単なる偏見や内部事情にすぎないにもかかわらず、全て、「医療現場を守るため」というお題目のもとに正当化しただけなんじゃないの?と突っ込んでしまいそうです。

このように、厳密に考えてみると、意外と根拠のない偏見や、内部事情というものが、「全従業員のための施策です!!」という抽象的な理屈にすりかわってしまうことって会社でも普通にありますよね。

そのような場合には、しっかりと、その施策を支える事実をつぶさに確かめてみる必要があるかと思います。その結果、不明瞭な答えが返ってくる場合、大体が「あの人が言ってたから、、」という返答になることが多いです。したがって、単なる内部事情や偏見は、一般的なお題目に抽象化される場合があるので、騙されないようにしっかりと事実確認をしましょうというのも「他山の石」として指摘することが出来ると思います。

 

以上、久しぶりのブログはすごく長文になってしまいました。。

 

 ※ 連続ものの報告書を読んだ感想

調査報告書を複数回に分けて出すときは、その差分をどこかに明示してもらうと、読み手には分かりやすい。

第1次はどこからどこまでが調査のスコープ、第2次はどこからどこまで、第3次は、、というように。

とっ散らかった事実を一つ一つ認定して、再構成する作業自体、鬼のように工数がかかると思うのですが、読み手は法律実務家ではない一般の方なわけですので、その辺りの配慮があると、もっと委員会として伝えたい意図がクリアに伝わるのではないかと思った次第です。

あえてサマリを見せないことでお茶を濁すという戦略もあるかもしれませんが、それは「第三者委員会」を謳うのであれば、やることではないと思います。だって、第三者が第三者に向けて報告するわけですから。

厚労省不正統計問題の調査報告書に観る「他山の石」

さて、三者委員会調査報告書から「他山の石」を読み取ってみるの第1回です。

インハウスロイヤーは、組織に遍在する幅広いリスクに対応することが求められる(とというかそういう案件に噛んでかないといけない)仕事です。

やはり、組織の誤謬や病理が外部に現れてしまった、いわゆる「不祥事案件」に

対しては、積極的に感度を上げていく必要があります。そのような思いで、第三者委員会報告書から「他山の石」を読み取ってみるシリーズを本ブログで取り上げることにしました。

wakateinhouse.hatenablog.com

 

第1回目は、「厚労省不正統計問題」に関する調査報告書になります。

1回目:https://www.mhlw.go.jp/content/10108000/000472506.pdf

2回目:https://www.mhlw.go.jp/content/10108000/000483640.pdf

www.mhlw.go.jp

本件の調査に関しては、いろいろと言われています。

本ブログでは、

「①何が問題となったのか」、

「②このことから読み取れる『他山の石』って何か」

ということについて、勝手に、そしてできるだけシンプルに、ユニークな考察ができればよいなと考えています。

 

① 何が問題となったのか

【統計不正の全体像】

毎月勤労統計という、労働者の毎月のお給料や労働時間、正社員かパートかという就業形態ごとの毎月のお給料の動きを調べるための調査を厚労省がやっていて、ここで集められたデータを基にして、雇用保険や、労災保険船員保険、事業主向け助成金などの国民への具体的な給付金額が算定されていました。ところが、ある時期(平成16年)から本来定められた統計の取り方と異なるやり方で統計が取られてしまったために、今に到るまで、保険給付が過少に給付されてしまっていたという事態が発覚しました。

【個々の統計不正】

ア 法令上、一定規模以上(500人以上)の従業員数の会社については、全数調査をしなければならなかったのに、正規の変更手続きを経ることなく、抽出調査=サンプル調査に切替えてしまったこと。

イ サンプル調査が許容されていた調査項目に関しても、統計学上、サンプルから母集団を推計する「復元処理」を行って、全数調査と≒(ニアリーイコール)の数値に戻す必要があったにもかかわらず、この「復元処理」が適切に行われていなかったこと。

ウ 厚労省内部においても、本来、全数調査をしなければならないことや、適切な復元処理を行わなければならないことが長年認識されていたにもかかわらず、是正されずに漫然と放置されてきたこと。

以上、ア〜ウの行為が、統計法に違反する状態となっていたことが、問題視されることになりました。

【事後対応の失敗】

さらに、事後対応のまずさが事態の収集を余計にハードにしてしまいました。

エ 上記の問題が発覚した後、特別監察委員会なるものを立ち上げ、第三者委員会として調査を実施したものの、調査期間が極めて短かったこと(1週間程度)、調査に内部者が関与してしまったことで、中立性、独立性が疑われる調査が行われてしまいました。

オ 上記の形骸化した調査手法がマスコミによって批判され、改まって、2回目の調査が行ったにもかかわらず、すでに焼け石に水状態となっており、2回目の調査においても、その中立性や、独立性が疑われるメンバー構成となっていたために、結局、「ろくな調査を行っていないじゃないか!!」と余計に火に油を注いでしまいました。

 

② 他山の石を読み取る

【傍流部門にこそ不祥事の芽が根差す】

推察するに、統計部門の厚労省内における存在感やプレゼンス、どれだけ当該部門が重要視されていたのかという観点は、もっと検証されるべき部分ではなかったのではないかと思います。そのことは調査報告書では問題提起されていませんでしたね。

統計??なんだか、数字を集めて、統計的な処理を行って、小難しい計算をやっているようだけど、施策につながる提言はできない部署だよね、企画力のない部署だよね、という風潮がもしかしたらあったのではないか。

このような地味な部門って、行政に限らず、どの会社、どの組織においてもあると思うんです。つまり、ピカピカの花形部門があり、そこに追従しちゃう可もなく不可もない部門があり、建前上必要だからとりあえず設置された部門(傍流部門)があり、というピラミッド構造。

結局、メインストリーム部門で事故って実は起きにくいんですよね。

なぜなら、優秀な人材を貼り付けているし、予算も潤沢にあるので。

その真逆の傍流部門にこそ、必然的に、事故の因、すなわち、不祥事の芽が根付きやすいのではないかと思います。

したがって、自分が今いる組織全体を俯瞰して見た場合に、傍流となっている部門、すなわち、軽んじられている部門があるとしたら、実は、そこに経営上のリスクが溜まっているのではないか?

そういう目線で組織を見てみたときに、危なそうな部門があるのであれば、未然に手を打つということもできるのではないかと思います。

もっとも、これは歴代のトップがこのようなリスクをどのように評価しているか、あるいはどのように評価をしてきたのかという問題と同根であるため、一現場の責任者、担当者レベルの責任を問えばそれでことが収まる訳ではありません。報告書にはこのような視点での検討はありませんでしたね。

【当事者意識の欠落と業務分掌の繋がり】

毎月勤労統計は、統計法に定める「基幹統計」として行われるものです。基幹統計とは、以下のようなものとして総務省のサイトで説明されています。

総務省|国民生活と安心・安全|統計制度

国勢統計、国民経済計算、その他国の行政機関が作成する統計のうち総務大臣が指定する特に重要な統計を「基幹統計」として位置付け、この基幹統計を中心として公的統計の体系的整備を図ることとしています。平成29年4月現在、基幹統計は56統計あります。

つまり、基幹統計をどのようにするかという判断、設計は基本的に総務省が行うということになっているのですね。

加えて、そもそも統計法の所管は総務省とされています。

総務省は統計法を所管し、「公的統計の整備に関する基本的な計画」の企画・立案など、 統計及び統計制度の発達及び改善に関する基本的事項の企画・立案を担っています。

したがって、どこかで、そもそも統計実務って、総務省の仕事を厚労省が代わりにやってあげてるだけだよねという当事者意識の欠落があったのではないか。

理屈の上では、厚労省が毎月勤労統計を行わないといけないことになってるけど、本来これは総務省の仕事で、総務省だけではできないから、厚労省が代わりにやっているんでしょ?統計調査をどんだけ真面目に頑張っても、厚労省内で評価されることってないでしょ?という風潮がもしかしたらあったのではないかと想像します。この点についての深掘りも報告書ではされていませんでした。

つまり、総務省厚労省の基幹統計における業務分掌の問題です。

こんなこと、会社組織で考えてみると、ありがちな論点ですよね。

仕事の取り合い、押し付けあい、責任の押し付け合いという議論があり、

結果的に声の大きい人を擁する部門が勝つという笑。そのために、組織の「本来あるべき論」が徐々にずれていくという。

したがって、実は、総務省厚労省の統計実務における業務分掌や、コミュニケーションのありよう自体にも全く問題がなかったのかというと、仕組みや構造上の問題があったのではないかと想像します。

今は、統計不正を起こしたのが、厚労省であるため、厚労省サイドからこのような声を出すことはできないでしょうが、独り厚労省の機能不全だけを咎めるのではなくて、そのような仕組みや構造上の問題もあったという点を検証しないといけないのではないかと思います。

その意味では、調査のスコープを厚労省総務省とのコミュニケーションという点にまで広げる必要がなかったのかという点は検討に値するのではないかと。

 

 

【過大な工数とあるべき姿とのバランシング】

今回の不正行為の一つに、本来全数調査でやるべき調査を勝手にサンプル調査で行なっていたことが挙げられます。そして、なぜ、このようなことが行なわれてしまったかというと、実は全く理由がなかった訳ではなく、それなりの理由があったということが報告書には記載されています。

平成 16 年1月調査分以降、従来、全数調査で行われていた東京都の大規模事業所について抽出調査に変更された理由としては・ 東京都に大規模事業所が集中し、数も増加していることから、全数調査にしなくても、適切な復元処理がされる限り統計としての精度が確保できると考えていたこと
・ 一定の調査事業所総数のもとで、中規模事業所の精度を向上させるため、
その部分の抽出率を高める代わりに、負担軽減のために標本数が十分な大規模事業所を抽出に変更したこと
・ かねてより厚生労働省に寄せられていた都道府県や回答事業所からの負担
軽減の要望に配慮したこと などが挙げられる。

 まとめると、全数調査はやはり東京などの一部の集中地域では大変だ、また、実際の調査に対応するのは都道府県の担当者なのだから、一定の配慮をする必要があった等ことのようです。

そのため、厚労省も現場に配慮をし、全数調査の運用から、サンプル調査に切り替えてしまいました。しかし、この際に、本来は基幹統計の主管省庁である総務省の承認を得なければならなかったのですが、この手続きをすることなく、運用だけ変更してしまったというのが問題をややこしくしてしまったみたいです。

このように現場の工数と本来あるべき姿とが衝突することってままあります。この場合にどう適切に対応するのかっていうことは、まさしく経営判断ですよね。

例えば、法律やガイドラインが変わったから、今後はこういう運用をしなければならないと管理部門が現場部門にアナウンスした場合に、現場から反発が出る。無理だ!そんなの工数がかかって実現できっこない!

実際に手を動かすわけではない管理部門としては、現場にかかる負荷を配慮してしまい、結果、妥協の産物としての中途半端な運用だけが先行して、それが前例となってしまうことってそれなりにありそうです。このような場合に、十分に議論を尽くすことなく、安易に判断をしてはならないという教訓が学べるのではないかと思います。例えば、工数がかかるということだが、絶対にできないことなのか?人員を増やせば、対応が可能なことではないのか?人員増のコストは一部負担することができないか?という検討であったり、仮に運用を変更するのであれば、変更後の運用の妥当性についてしっかりと議論をした上で、正規の手続きを踏んでガラス張りの対応をしていくということで判断の妥当性を担保する必要があるということです。したがって、報告書にも、これらの議論を尽くしたのかどうかという検討や、仮に尽くせていなかったとして、尽くせないほどに、都道府県との関係値が悪化していたのかという点の検証や、これらの手続きを尽くすのが困難なほどに、当時の厚労省の統計部門全体にかけられた負荷が高く、他の業務で忙殺されていたのかどうかという点の検証もあってよかったように思います。

 

【まとめ】

このように見てくると、厚労省の不正統計問題って、
政治と行政の問題というハイレベルな図式化というとそうではないのではないか。
つまり、我々一般庶民が会社の中で日々遭遇する問題とあまり変わらないようにも思えませんか?
たまたま、官僚という行政の世界で、しかも、基幹統計という高度にデータの信頼性が求められる領域で起きてしまった不祥事であるがゆえに、熱い注目を浴びているに過ぎないというか。

本件について、政府や役人を責めることは必要かもしれませんが、

別に上記で見てきたようなことって、役人だからとか、政治家だからとか、そういうことが理由で起きているわけではないように思います。つまり、人間社会、限られたパイでしのぎを削り合う組織の中で、必ず起きうるであろう事象のように思われるわけです。

その組織の病理や弊害が、結果として、法令違反という形をなして、国家のレピュテーションリスクという現象に発展してしまったのではないかと。

 このような組織の病理や弊害に関して、明快な処方箋を与えてくれるお医者さんや専門家っていませんよね。

そして、この領域にこそ、純粋に法律だけではない、より幅広のリスクに対応することが求められ、加えて、その組織のことに精通しているインハウスロイヤーこそが当たるべきではないかと思います。そういう領域を切り開くためにも、今後も第三者委員会の報告書の勉強は続けて行きたいですね。

第三者委員会報告書から観る「他山の石」

三者委員会報告書から観る「他山の石」

最近では、会社、官公庁、教育機関、スポーツ団体など、

様々な組織における不祥事(組織の病理)が話題になっています。

その度に、第三者委員会が組成され、調査報告書という形で世の中に公表されています。この領域は純粋な法律論というよりも(結果的に法律違反が認定されることも多いのですが)、むしろガバナンスや内部統制にわたる組織論、構造論、そしてそれらを論じる土台としての事実関係がメインのトピックとなっており、いわゆるリーガルリスクに留まらない、より幅広なリスク管理を題材とした領域です。

そして、いわゆる法的リスクに留まらない、組織内の様々なリスクコントロールの局面に関与しなければならない組織内弁護士としても、この領域についての知見を深め、いわゆる「他山の石」を読み取っていくことが大事だなと思い、今月から、この調査報告書をしっかりと読み込み、自分の言葉で批評し、インハウスロイヤーとしての仕事に活かせる何らかの「気づき」みたいなものを書いていこうと思いました。

三者委員会報告書格付け委員会

今後このブログで取り上げる報告書は基本的には、

「第三者委員会報告書格付け委員会」で取り扱ったものにしたいと思います。

 

www.rating-tpcr.net

この格付け委員会ですが、詳細は上のリンクに詳しいです。

また、色々なところで、取り上げられているかと思いますので、

簡単に紹介すれば、なんちゃって第三者委員会の、なんちゃって調査報告書が出回ったら、それこそ、組織の不祥事や病理がそのままになっちゃって、いろんなステークホルダーに迷惑かかっちゃうよね、それじゃ時間とお金をかけた意味がなくなっちゃうから、ちゃんと誰かがウォッチしようということで、立ち上がった組織だと思います。

 

おそらく、日本で一番第三者委員会の報告書を読んでいる先生方が取り上げるものなので、題材の選定としては間違いないんじゃないかなという思いと、色々と報道されている事件ばかりなので、資料に事欠かず、勉強の材料としても適切だなと思います。

 

なお、報告書自体は、すでに、委員の先生方により、またマスコミ報道などによって、一定の評価がされているものなので、私のようなペーペーが報告書の内容そのものを細かく吟味、評価することはできるだけ避けたいと思います。ただ、調子に乗って色々と書くこともあるやもしれません笑

記事としては、直近のものから遡っていこうかなと。

このお勉強から、何か有益な学びが得られるか、、自分自身未知数ですが、

なんとなく面白そうではあります。

ただ、報告書を読むのは非常に辛いので、このカテゴリはやめるかもしれません笑

次回、最近2回目の調査報告書が出て、早くも格付け委員会から「F」評価を下された

厚労省統計不正問題」に関する調査報告書に関して勉強していきたいと思います。

www.mhlw.go.jp

 

 

 

谷間世代への救済策について

本日は日弁連の臨時総会に行ってまいりました。

やはり、一番の話題は、第1号議案、谷間世代への日弁連からの給付金(一律20万円)の支給是非でした。

日弁連がやっていることって普段は正直あんまり興味がなかったんですが、

かくいう私も谷間世代の当事者でして、やっぱり気になったので、会社にお願いして行ってきたのです。

 

※ 谷間世代とは、司法修習生(司法試験に合格した人のうち最高裁により任用される法律家の卵のこと)の65期から70期の裁判官、検察官、弁護士のことをいいます。この世代は、1年間の司法修習期間の生活費を、国からの貸与(=借金)で賄わざるを得なかった人たち。64期までの修習生は、国からのお給料(ボーナス付き)という形で、修習期間を過ごすことができました。2011年の震災後、司法試験に合格した人のうち、ある特定の世代は修習期間中の生活費を強制的に借金という形で負わざるを得ませんでした。それまでの世代は何ら経済的な負担なく安心して修習に取り組むことができました(給費制を完全に排斥したのは民主党政権のときです。64期までは延長されていたんですよね、、)。このギャップを捉えて、「谷間」が生じているという問題意識から「谷間世代」というワードは出てきています。大体1ヶ月23万円の生活費×12ヶ月=300万円弱の借金を谷間世代は背負うことになっています。

 

議決がどういう結果になったとしても、受け入れようと思っていました。だって、その分自分が頑張ってそれに見合うキャッシュを獲得するしかないし、そもそもこの1回の給付だけで全部で300万円弱の借金を返済することはできないので。

私が興味を持ったのは、谷間世代ではない弁護士の先生方って、一体どのような考えを持っているのかな、この点について、どういう議論がなされるのかなという点でした。

 

総会自体は、12時半から始まったのですが、正味、質疑と意見交換の時間が長すぎて、議決権を行使する前に退場せざるを得ませんでした(15時に退出)笑

総会の内容としては1号議案から7号議案まであったのですが、結局1号議案の採決が行われたのは16時過ぎだったとか(その後7号議案までどうやって議事を進行したんだろう笑)。

私が会場にいた間ですが、特に66期(今年から返済が始まる人たち)の先生方を中心に、皆さん意見をされていましたね。

云く、

日弁連会長の谷間世代救済への意欲の低さ(会合に全然出席してくれないじゃん!!)を問題提起する人、今の谷間世代への対応は、国や日弁連から見捨てられたとして泣きながら話す人。

・お父さんの収入が不安定で、高校からロースクールまでの奨学金総額が1,000万円を超え、かつ、就職難だったために即独を余儀なくされ、即独費用にさらに400万円を借り入れざるを得なかった人。

・早口すぎて、議長から3回くらい質問を聞き返されていた人(こういう弁護士さんまだいるんだなぁぁ、てか何が聞きたかったんだろうww)。

・司法修習は阿片だ!直ちに廃止すべし!と叫んでいたおじいちゃん先生(すいません。何が阿片かよく分からないし、そもそもあなたも修習受けてますよね?ww)

などなど、色んなバラエティに富んだ先生方がいました(最後までいたかったな)。スピーカーに与えられる持ち時間って、一応、最初に2分から3分と明示されるんですが、基本皆さん5分以上は話してましたね笑。

 

そんなカオスな状況の中、理路整然と答えようとする執行部の先生方。

全部の質問に対して、非常に丁寧に返しておられた印象です。だって、質問1と質問2の切れ目がよく分からない質問もあるんです。それが5、6個あったりもする。それをよく分解して丁寧に答えたなという印象です。そもそもこの事態って、彼ら彼女らのせいで起こった訳ではないですよね。にも関わらず、できる限りの対応をされていたように思います。

 

なんか、このやり取りを通じてですが、本当に弁護士ってめんどくさい奴らだなと(もうちょい空気読めよと)。

しかし、ちゃんと皆さんご自分の意見を持って議論しているんですよね。良くも悪くも空気を読まないというか。忖度、忖度って言われているこのご時世で、まだまだこういう人らがいるんだな!というのが再確認できてちょっとほっとしてしまったというか。

そんなに長くいれないんだから、早く議決権行使させてよ!という感情もありつつ、もっと荒れろ!!という感情が両立するという、不思議な感覚。

 

結論として、第1号議案、すなわち、谷間世代に対して日弁連から20万円の給付が降りるという結論となりました。そのこと自体は、谷間世代の当事者として助かるなというのが正直なところです。

 

ただ、この問題、本源的な部分に立ち返ってみると、弁護士全体にとどまらず、法律家全体に共通する話なのではないかと思います。日弁連だけの責任ではなくて、裁判所、検察庁=司法のパワーや重要性が今の日本社会においてどの程度認められているのか?という話だと思います。

なんでこんな議論をしないといけないほどに法律家が追い込まれているんだっていう話です。給付の是非に関していえば、たかだか20万円の話じゃないですか。

そして、司法修習制度の話でいえば、たかだか年間1500人(最近の司法試験平均合格者数)の若手を公費で支えることの是非じゃないですか。このコストを単純に積み上げれば年間45億円のコストです。未来ある若手に45億円を振り向けるのって無駄なコストですか?もっと無駄な事業あるでしょう(きな臭い事業)。そんなのがある中で、未来の法律家にそれだけのコストを振り向けることってそんなにダメなことなんですか??ということです。

結局、日本という国は司法が弱いんです。政治力がないんですよね。

だから、リーガルの価値を皆理解できない。アメリカの弁護士のタイムチャージってどれくらいか知っていますか?

若手のペーペーでさえ、日本のパートナー以上に取っているということはざらです。

司法の政治的な力(パワー)がない→予算が取れない→若手が苦しむ→以下ループ。

これを解決するには、司法≒法治の価値を一般の方に小さい頃から理解してもらう必要があると思います。また、実際の社会においてやっぱり法律家って役に立つよなということを理解してもらう必要があると思うんですね。

まずは、「法教育」です。個々の法律の知識を知る必要はなくて、法律全体に現れてくる考え方のフレームを知ることってけっこう大事だと思うんです。例えば、三段論法、比例原則(目的手段審査)、原則と例外、事実と評価の峻別、手続保障、事実認定etc。これは、ビジネスをやる上でも必ず通過するフレームワークなんですよね(インハウスをやっていると非常に多くの実例に遭遇します)。この考え方のフレームに若い頃から体系的に慣れていると、法律家に限らず、面白い若者がたくさん出てくるんじゃないかなと。そして、この法教育を地方の若手の弁護士が主導して行う。そこに雇用が生まれるし、色んなケミストリーが生まれそうな気がします。つまり、司法の価値を分かりやすい形で社会生活に還元する活動です。

 

次に、法律家の職域拡大です。これは、法律家としての新しいサービスの提供も含むし、また、法律家が法律とは全く関係のない分野で活躍することで、逆に法律家の価値が上がるという方向性です。今までの先生方(むしろ司法修習制度自体そのものなのかもしれません)には悪いですが、過度に裁判実務にこだわりすぎていた嫌いがあります。裁判実務そのものは、大事なものです。そして、その価値はこれまで通りに維持されるべきものだと思いますが、それだけだと若手は食えなくなってきているんです。

例えば、いたるところに、隣接士業がいます。そして、資格すらない人は、手を替え品を替え「経営コンサル」という形で企業経営に入り込んでいるんです(結構なお金が出ていっているんですよ)。そこに対して、今までの先生方がどれだけ意識的にリーチする努力をしてきたかといえば不十分だったなと。裁判で食っていけないのであれば、ここに接近していくべきなのではないかと思います。弁護士はcounselといいますよね。要は相談役なんです。個別の法律を知っていることも大事ですが、法律の価値を理解した上で、あるべき/取りうる方向性へのアドバイスができる弁護士像、これが求められているような気がします。その意味でいえば、今までの先生方の業務への取組み、競合サービスへの認識が甚だ甘かったというようにも思われます。今後、人口減の社会に向かう中で、どういう価値を社会に還元するのかという話にも通じることではないかと。

 

法教育と、裁判以外の分野でのアドバイス業、これを軸に戦略を立てることが大事なのではないかなと思います。