若手インハウスのひとりごと

若手企業内弁護士の日々の仕事、勉強、法律のこと、今後のキャリアや業界のことを思うままに記すブログです。

法務における資格の有無その2

年末に思いつきで始めたこのブログですが、何かを継続するのって大変ですね。

長年ブログをやられている方、、本当にすごいなと尊敬します。

 

さて、法務における資格の有無について。

前回は、1【人脈力=観察力】2【想像力=表現力】ということについて書きました。

 

wakateinhouse.hatenablog.com

 

最後は、3【仕事力=総合力】という点について。

もう、ここまで来ると、資格があるとか、ないとか、そういう話ではなくなるのではないかと思います。

 

「仕事力」、特にリーガル的な視点を強調してしまうと、めちゃくちゃ切れる頭と、抜群の法律知識と、案件をバンバンさばく事務処理能力。

議論になったら、聴衆を巻き込むような圧倒的な弁論の力によって、自らが思う方向にことを進ませていく。このようなことをイメージされている方がいるとしたら、それは違うのではないかと思います(いないとは思いますけど)。

当然、頭の切れ、正確な知識、高度の事務処理能力を持っているに越したことはありませんが、それではコトは動かないわけです。普通に、ごくごく自然に考えたら、こうなるはずだ!というセオリーがあったとしても、なぜだか知らないけれども、そのとおりにはならない。むしろ、そうはならないようにできている。

それが仕事というか、人間社会の妙というか、面白い部分ですよね。全く合理的な反応をしないわけです。

たとえば、ダチョウ倶楽部のネタでもありますよね。

押すなよ〜?押すなよ〜?って言ったら、他の二人が押してくれるじゃないですか。

押さなかったら、そのことを突っ込んでそれが笑いに変わる。そういうセオリーがありますが、しかし、それは「お笑い」という約束事の中だからこそ成立するわけであって、限られたパイの中で、仕事と評価とそれに見合うフィーを追求する集団の中では、機能しないように思えるわけです(お笑い芸人の中でも、この原理は同じだと思います)。

つまり、皆他人のことなんて興味ないんです。だって、自分が生きるのに必死なので、

そんな余裕なんてない。むしろ、他人がやっていることをサポートすることで自分が不利になるんじゃないか。この一言、一挙手一投足にはリスクがあるんじゃないか。

そういうようなことを恐れてしまうわけです。あるいは純粋に自分のことにしか興味がないのか笑

 

仕事には必ず相手が伴います。相手の立場や、理解力に価値観、自分との距離感、自身の存在感や相手に対する理解力、その他色々な要素があいまって自分の仕事を形作るわけです。たとえば、段取り、イメージの共有、自分が言いたいことを相手に伝えられるだけの準備、そのための人間関係の構築、この辺りの泥臭い、ヒューマンビーイングな仕込みが必要になります。

 より端的に言えば、上司を動かせるかどうか、同僚に理解してもらえるかどうか、他部署にも協力してもらえるかどうか、最終的に妥当な方向に周囲を向かわせるだけの見立てや確信を持っているかどうか。

つまり、コミュニケーション能力とそれを円滑に進めるための準備と気持ちに尽きるのではないかと思われ、これはライセンスの有無や、社歴の長短では決まらない仕事の本質なんじゃないかと思います(もっと言えばこれはAIには代替できない人間だけが使える能力なんじゃないかと)。

 ここまで見てくると、資格の有無ってあまり関係がないんですよね。転職の際の引き合いの多さや、採用における考慮要素にはなるかもしれませんが、実際にその組織に属したときの具体的なパフォーマンス、アウトプットという点では大差のない要素だと思います。

 

以上、法務における資格の有無についての考察でした。

実際の仕事力というところでいうと、本当に意味のない比較になってしまいましたね笑

無論、ライセンスを持っていることにはそれなりの価値があるとは思います。社外での人脈作りや、法的な紛争が起きたときに法廷の中に入れるかどうか(代理できるかどうか)という点で(インハウスが会社の訴訟代理をする局面はそう多くはないと思いますが)。

しかし、社外での人脈ということでいえば、別に資格がなくても、その裾野は広がっているわけです。特に、ロースクール制度が導入されて以降、ロースクール生の中でも司法試験に合格した人、そうでない人が出てきます。しかし、皆同じ時期に真剣に法律を学んだ仲間なわけです。だから、同級生が弁護士だったり、裁判官だったり、検察官だったり、パラリーガルだったり、法務部員だったり、行政の人だったり、そしてビジネスパーソンだったりするわけなので、足元を掘って見ると、意外にもネットワーキングには事欠かないのではないかと。

 

結局、その立場や経験、自らに与えられた役割を、どのように活かすかは個々人の振る舞いによるわけで、あと、20年、30年経ったときの、あるべき/ありたい自分に向けてどんだけ頑張ってるか、どんだけ知恵を絞ったか、ただただそこに尽きるような気がします。

 

だって、小学校しか出ていない田中角栄さんは日本の総理大臣になったわけじゃないですか。中学校しか出ていない松下幸之助さんは日本を代表する会社のファウンダーになったじゃないですか。彼らが持っていたのは、ライセンスでもなんでもなく、未来のあるべき自分や、ありたい理想像に向けて、日夜精進し、目の前の人に可能な限りの心を砕きながら、自分がやりたいことを着実に成し遂げようとする「意志」だったわけで。

それを考えると、また明日から頑張ろうっていう気持ちが湧いてきますよね。

 所詮、「はあ、、、月曜の仕事行きたくないや(*´-`)」という気持ちとの戦いだったりするわけで笑